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東南アジア編 第4話 ベトナム 「受け入れてしまうことがストレスを感じない秘訣」

ラオスから25時間弱。休憩があっても両替所もないので何も買えず。飲まず食わずでたどり着いたベトナム。

 

着いた途端、タクシーの客引きが群がる。はじめはみんな10倍以上の値段でふっかけてくる。

 

喉がカラカラで空腹も限界を超えて交渉する気力もわかない。そんななか良心的なタクシーを探し中心部へ行き宿探しをしなければいけない。そんな蒸し暑い初日だった。

 

お金をおろすも単位のでかいベトナムのドン。はじめはどの国も通貨の感覚になれるのが難しい。

 

宿を探してさまよう熱帯夜。

ラオスで世話になったスタッフが働くベトナムの宿を目指すが場所がわからない。

早くバックを下ろし冷えたコーラを一気飲みしたい。なんでもいいから食べたい。そんなことだけを考えフラフラさまよう。

 

すると一人の物売りの女の子が近寄ってきた。「どこに行きたいの?」

「この宿に行きたいんだけど。」

「そこなら知ってる!!あっちに行けばあるよ!!」

「ありがとう!!」そうやって立ち去ろうとした時、もっていたパンみたいなものを半ば無理やり食べさせてきた。

喉が渇いている自分にとっては拷問に近い。残りの水分を全て持っていく乾パンのようなものだった。

そして、飲み込むのに苦労していると、おもむろに袋に詰め、お金を要求してきた。

そしてお金をだすと、「これだよ!!」と手元からパッと大きな額を抜き取ったのだ。観光客ならこれで確実にだまされただろう。しかしそんなこともあろうかと抜き取られたお札を見逃さなかった。

 

「ふざけんな!!」本気で日本語が出た。

 

渋々返してもらったが、美味しくもないし一番必要としていない乾パンに1000円以上(ベトナムでは結構な額)を払わせられるところだった。

 

ほとんどは取り返したが、それでもかなり高い値段で売りつけられた。

状況も相まってイライラしていた自分は半ギレで教えてもらった道を歩む。

しかしいくら探しても見つからない。

まただまされた。その子はその場所など知らなかった。

予定より1時間も遅くたどり着いたその宿はすでに満室だった。

 

そんな1日から始まった。

ベトナムは暑い。自分がいた時は気温が48度にまで達していた。

日本の100倍近いバイクと2秒に1秒の頻度になるクラクションに少し疲れてきた。

 

そして移動のバスに乗る。するとバス会社の人はお客をお客と思わない。

平気で叩いてくる。何か質問しようもんならなぜか怒られる。

 

でもこの時には私はどこか受け入れていた。

 

叩かれようもんなら満面の笑みでありがとうと返した。

質問してキレられようもんならありがとうと返した。

無視されても笑顔で相手が答えるまで見つめ続けた。

 

そんなおかしな状況に不思議と面白くなってくる。

 

悪い印象ばかり書いてしまったが、ベトナムにもとても心優しい人はいた。タムコックという田舎の宿で、働いていた少女は常に笑顔で気遣ってくれた。

 

観光客が入らない家族経営のフォーのお店の人たちは必死に伝えようとしてくれた。そしてそこのフォーは、行列になっているお店より遥かに美味かった。

 

 

出会いにあまり恵まれなかったにしてもその国を悪く言うのはちがう。あくまで国とひとはバラバラ

で考えるべきもの。

おかしな人もいれば心優しい人もいる。それは世界共通だろう。

そしてある程度のことは受け入れてしまえば嫌な気を起こすこともない。すべては日本人の感覚を持った私とそうでない人たちとの感覚の相違ににすぎないことなのだから。

2019.07.31|スタイリスト

東南アジア編 第3話 ラオス「大きく目の細かい虫網でありたい」(アカイザワ)

タイから60時間以上かけメコン川を船で降りラオスを目指した。

なかなか選択しないルートだったため日本人に会うとは思っていなかったがここでも私は素敵な出会いに恵まれた。

ボロく小さく椅子の硬い船に乗り込む。エンジン音が不快なほど鼓膜を揺らす。

やることがない。うるさい。ご飯もない。ケツ痛い。でもただ船に乗って大して変わらない景色をたのしむのもまたよかった。

 

しばらくボーとしていると一人の人が声をかけてきた。

 

彼は僕の26歳上のおじさんだった。彼のことを今は『むぎっち』と呼んでいる。帰国してからも連絡を取り合う友人だ。

 

彼は仕事を早期退職しはじめて一人旅にでたとのことだった。

そこからはたくさん話をした。くだらないことも深いことも何でもかんでも話した。

 

旅で出会う人たちはなんでも自然体で話すことができる。これは不思議で、旅ではなく旅行をしている人とは腹を割った話はなかなかできなかったりする。

 

まだまだ旅を語る資格はないが、脱力し、ニュートラルな人ほど旅を感じさせてくれる。

 

むぎっちとビールを飲みながら退屈な時間を過ごす。そしてようやくラオスに着いた。

 

着いてみたらなんとここも何もないもないがある地だった。

 

20代の私にはわからなかったが、むぎっちがいうにはとても懐かしさを感じさせてくれる心地のいい場所だという。どこか昭和真っ只中の空気に似ていたらしい。

少しバスで移動するととても綺麗な泳げる泉があり泳いだりしたが、やはりこういったところには観光客が多くどこか綺麗だが合わなかった。だがここは間違いなく綺麗だった。

 

結果着いて1日目だけあたりを見て回りその日以降は基本的に朝からむぎっちとウイスキーを飲み、昼からビールを飲み夜もそれらを飲んでいた。

 

話せば話すほど本質に近ずいていく。

お互いの価値感を投げ合う時間が非常に好きだ。

むぎっちは私よりもはるかに歳上なのになぜか敬語で私の価値観を引き出していく。そして吸収していった。

一緒にいてそこが彼のとても素敵なところだと感じた。

 

ある日彼をみて私はふと虫網を思い浮かべた。

 

小さい頃は小さくも目の細かい虫網でいろんな経験や感性を拾い上げっていた。

成長するにつれ行動範囲も広がり虫網の口も広くなっていく、しかしそれと同時に、網目も広がりこぼれ落ちていくものが出てくる。

 

さらに歳を重ねると大きくなりきった網は網目だけ大きくしていく。

 

こんなことをイメージしていた。

この人は網も大きければ目も細かいなと。自分も歳を重ねても、大きく目の細かい虫網を持ちたいと思った。

 

年齢は数字にしか過ぎない。大切なのはどんな経験をしどのように考え行動するか。

年齢が上なら経験値が上なのか。それは一概に言えなくて若くても人が経験していないことを多く経験している人もいる。

『経験』自体、人それぞれの視点、考え、環境、タイミングetcからなるものだから上か下かあるはずがない。要は種類が違いすぎるので比べられるものではないのだと思う。

 

確かに私は人があまり経験していないことをしたかもしれないが、それは全くもって人に上から語れる経験ではない。価値観の話をするとき、内容をより深くするツールにすぎない。

歳『下』という言葉にも違和感を覚えるが、私はひとりの人間として『自分が経験したことのない経験をしている人』から感性のいいとこ取りをできたらいいなと思っている。

つまり自分以外の人間すべてからだ。

旅で出会った人と深く話し感じた。

いろんなものに触れ感性を刺激しつづけている人間は、面白く、深い。

こんな内容を書いてる自分を客観視して「何を偉そうに価値観語ってんだよ」と心の中で自分を鼻で笑っている自分もまた一興だと感じている。

2019.07.10|スタイリスト

東南アジア編 第2話 タイ 「お金の価値、出来事の価値」

 

マレーシアから陸路ではなく、飛行機を使って入国したタイ。それには理由があった。マレーシアとタイとの国境は治安が安定しておらず、絶えずテロに巻き込まれる可能性があったからだ。

避けた私はそこの実情を一切知ることはできなかった。もしかしたらとても素敵な場所だったかもしれない。しかし自ら命の危険に足を向けることはできなかった。

 

皆さんの中でタイとはどのようなイメージだろうか。

私は、恥ずかしながら、まだ道路も舗装が遅れており、衛生的にもまだまだで、たくさんの難民がいるイメージだった。

結論から言うと、バンコクに関しては東京とさほど変わりなく感じる程だった。日本の居酒屋やチェーン店がいたるところにあり場所によっては、50mの範囲の中に4軒セブンイレブンがある。

 

物価も上がってきており、それでもなお発展途上であるこの国が日本を超えるのはそう遠くない未来だと感じた。

 

この国ではとても多くの出会いに恵まれた。

バンコクで2週間ほど滞在していた宿では多くのともだちが出来た。私が美容師であることを聞きつけた人たちが髪を切ってくれとおしかけ1日で7人切った日もあった。

 

 

 

 

 

 

その中の一人だったアーリーというドイツ人の彼女とルートが一緒だったので一緒に旅をすることになった。

バンコクからチェンマイまで、寝台列車で長い時間をかけて向かった。

列車の窓を開け湿度を多く含む空気を感じながら、ワクワクを募らせた。

 

寝台列車というのはとても不思議だ。決して快適ではない。ゆっくり寝れるわけでもない。だが窓の外を眺めているだけで、旅を感じることができる。「旅」を簡単に味あわせてくれる。

少し汚い線路上、走り回るネズミ、暑くて寝苦しい車内、だけどそれすらも刺激的で輝いて見えた。

 

車内で仲良くなった警察官たちが気さくに声をかけてくれてご飯を食べさせてくれたりもした。タイ人はとても気さくで優しい人たちが多く、大好きな国になっていった。

チェンマイでは、毎日好きな時間に起きては、近くの屋台でマンゴーシェイクを飲み1日が始まり、お昼ご飯を食べたら昼寝をして、起きたら屋台で夕飯を食べて、ビールを飲んで寝る。そんな毎日を過ごしていた。

唯一したことといえば釣りだけだ。

1週間くらいチェンマイには滞在したがほとんど観光した記憶がない。

この釣り堀に行くときにgrabという個人タクシーを利用したときのこと。表記されていた住所のところが潰れていて路頭に迷っていたところ、ドライバー施設に電話をかけたり、車もメーターを止めて送ってくれたり、最終的には一緒に釣り場まで来てくれて写真を撮ったり、ビールを奢ってくれて一緒に飲んだりした。

 

どこか気が抜けていて微笑みどころか満面の笑みをくれる国だった。

 

どこの国にもいるが路上で生活している人たち。もちろんタイにもいる。タイは急激に発展したからか、その貧富の差が斗出しているように感じた。

 

脚のないご老人や、痩せた体で子供にミルクをあげている人、精気が全く感じられない人もいる。

はじめは、お金を渡していたらきりがないと思って渡さなかった。だが、横を通り過ぎた後必ず後悔が後ろ髪を引く。

だから渡さないことで後悔することをやめようとおもった。

その行為を偽善かどうかではなく、それをすることで周りから偽善者だと横目でみられることを気にしている人が多いのではないかと感じたからだ。

あまりそういった人の目を気にしない私は、渡すときに必ずその人と同じ目線まで下ろし、前の籠や皿ではなく手渡しをするようにした。同じ目線で何かを共有したかった。人には上下はない。私がお金を渡しても私の立場が上になることはない。そうして受け取ってくれた人たちは皆さんがとても素敵な笑顔を私にくれた。私はその笑顔にとても元気ずけられた。それにありがとうを言いたくなった。

自分もお金があるわけではなかった。でもだからこそこの考えも生まれた。

 

お金には、世間から見ると1つの価値しかないが、人一人からするとお金の価値は各々違うと。

 

自分にとってはタダお腹減ったときにその小腹を満たすための300円でも、誰かにとっては、1日家族を食べさせていけるかの300円になる。

 

これを感じたとき、自分の中にはお金がより価値を見出せる人の手元にあったほうがいいなと思うようになったのだ。

 

お金の価値観を変えてくれた地だった。

 

話を戻すが、その後私はパーイという田舎の町に向かった。

何もないがある町だ。もともとタダのバスの休憩地点だったこの町を気に入った旅人たちが移り住み町らしくなった。

 

ここで私は素敵な出来事に出会う。

バイクで事故を起こし膝を縫うことになったのだ。しかしこの出来事に今でも感謝している。

 

この町にアーリーと共に着いてすぐ。私は町の真ん中で、バンコクの宿で髪を切ったジュリーというパリ出身の子とばったり再会した。

 

この子はバンコクで会ったときからとても笑顔と心遣いが素敵でまた会いたいと思っていた子だったのでこのときとても嬉かったのを覚えている。

その後彼女がバイクをレンタルしてこの町の周辺を周るから行こうと誘ってくれたのでバイクをレンタルし一緒に景色を見て周った。その帰り。少し路面の濡れた坂道で私のバイクはコントロールを失い転倒してしまった。

 

うまく受け身を取れて、全く怪我なく着地できていたと思っていたが、何と無く違和感を感じ破けてもいないズボンを膝までめくると膝が少し裂けてしまっていた。

 

自分はさほど慌ててはいなかったがジュリーが病院に行かなきゃ!!と心配そうにしてくれていた。

そのときもう二人、一緒に周っていた人がいたが、時間を奪いたくなかったので帰ってもらい、一人で病院に行こうと思ったが、ジュリーが心配そうに施述室まで付き添ってくれた。

 

縫う前にする麻酔注射。あれがなかなか痛い。ジュリーは心配そうに傷口を見て僕の手を握っていた。意識すると痛いからと、家族の話や旅のことを話して意識をそらそうとしてくれていた。

 

このとき私は傷のことなんかより、「なんて心が綺麗で優しい子なんだ。どうやって育てられたらこんな素敵な子になるんだろう。この子の家族に会いたい。」そんなことを考えていた。

 

施術が終わり診断種などに問題がないか目を通してくれ、宿まで送ってくれた。次の日はみんなでご飯を食べた。

バンコクで髪を切ったときに、ジュリーは「パリに来たら泊めるから是非来て」と言ってくれていたが、この日私は改めて、「パリに行ったら是非家族に会わせてくれ。」とお願いをした。

 

そして、この4ヶ月後パリで私は彼女の家族と最高の時間を過ごしたのだ。この話はまたパリ編で。

 

これによって私にとってこの事故は価値のある素敵な出来事になったのだ。

 

 

その後数日歩けなかった私はまたアーリーや新しい仲間とのんびり過ごし、またチェンマイに戻りそこでアーリーとはお別れし次はドイツのハンブルクで会う約束をした。

 

そしてまだ完全ではない足で60数時間かけてメコン川を船で降りラオスをめざしたのだった。

 

 

 

2019.07.04|スタイリスト

東南アジア編 第1話 マレーシア「自分の時間と地球の時間」(アカイザワ)

ニュージーランドから飛行機に乗り込み日本よりも安全と言われるニュージーランドから東南アジアへ。

そこに不安はない。あるのはワクワクと冒険心とポジティブに偏りのある感情のみだった。

 

そしてついたマレーシア。

 

匂いが違う。アジアの匂いだ。スパイスの匂いが漂う空港に夜中についた私は、空腹を満たすためご飯を食べ、とりあえず床に座り、人目もはばからず半袖短パンに着替える。気温差が20度以上もあるため汗が止まらない。

 

といあえずWI-FIを探し目的地を探すところから始まる。

宿はネットか実際にそこに行ってからかそのとき次第で決めた。

 

マレーシアではマラッカという街を周り、マラッカにいるときにふと「明日シンガポールに行こう。」そんな感じで目的もなく行き先を探した。

 

もともと観光地に興味がなかった私は、あまり観光で行かないようなところを探し回った。

アジアに入って2週間くらいはダラダラ色々な街を転々とした。

 

ある日、予定でたどり着いたマレーシアの最西のジョージタウンで、ふと島に行きたいと思った私は、2泊の予定を変更し、最東のプルフンティアンというを目的地とした。

長距離バスとおっちゃんの原付の荷台と小さなボートを乗り継ぎ島にたどり着いた。

ボートが岸まで行けず、海の中を歩って上陸した。

WI-FIもなく、人少ないこの島には海しかない。

ホテルもあるが、ビンボー旅の私はテントに宿泊した。そこには何もなかったが、自分に必要なものはすべてあった。時計の必要のないこの島に、綺麗な海とハンモックがあった。それだけで幸せだった。

朝起きると目の前には、綺麗な水色をした海があった。

目覚ましに海に飛び込む。口に入る塩辛い海水が目をさます。 日差しが身体を起こす。

少し疲れたら、マンゴーシャーベットとマレーシア料理で身体と脳を癒す。そして、ハンモックに揺られながらお昼寝をする。また海に潜る。こんな風に過ごしていると、真っ赤になる空と海の時間を通り過ぎ、夜が来る。

 

夜は、ミュージックプレイヤーと化したiPhoneでChill outミュージックを聴きながら、シーシャをふかし、ビールを飲みながらハンモックに揺られうたた寝をする。

このとき、自分の中で時間に追われる何かから解放されていくのを感じた。

 

ここには時間というものはないように感じた。

日本にいたときは、何もしていない時間を「もったいな」や「暇」というネガティブな表現の名札をつけることが多かったが。ここにいると不思議とその名札は外される。

何もせず、ただながれる雲を見ていることが幸せだった。

何も悩むこともなかった。次を考えることもなかった。今を生きていた。まさにマインドフルネス状態だった。

 

「時間は平等」本当にそうだろうか。自分はそうは思わない。

ならばなぜ寿命に差があるのか。辛い時間は長く、楽しい時間は短く感じるのか。歩くスピードも違ければ、心拍数、呼吸も違うのか。

 

人はそれぞれの時間を持っている。そのスピードは各々だ。

 

そもそも時間というのは太陽の動きや季節をわかりやすく可視化した人間の創った名札に過ぎない。しかしそれが全てを握っていた。これに疑問を感じていた。

 

可視化出来る時間はあくまで参考で年齢も同じように名札、「生造日」に過ぎないのだろう。

 

このとき自分の中の時間が、少し早く、ずれていたことを感じた。生き急いでいた。地球のそれはもっとゆっくりだったのだ。

 

それを感じまた少し脱力出来た気がした。

 

ここはそんな島だった。

そんな島にも住んでいる子供たちがいた。とても優しく気さくな彼らはどこか豊かで魅力的だった。

今でも彼らの優しさを忘れることはない。気遣いはなかった。そこにあったのは心遣いだけだった。

 

この島を出てからだろうか。普段は考え事をしたり、次の計画を立てたりして、ただの移動に過ぎなかったバスは、無心で景色を、空気感を吸収することのできるとても素晴らしい時間に感じるようになった。

 

そしてこの後、とても多くの、とて大きな感覚をくれたタイに向かった。

 

 

 

2019.06.21|スタイリスト

darestore in DAISYLOTUS (イベント告知)

【イベントのお知らせです】

6月25日 火曜日 17:00〜

今回は、仙台の人気のカフェdarestoreさんがDAISYLOTUSに来てくれます!!

 

サブカルチャー雑誌『BRUTUS』にも掲載されたこだわりの焙煎豆を取り扱う、仙台のお店です。

今回の内容としましては、コーヒー販売、コーヒー豆販売、人気メニューのバナナブレットのケータリングも数量限定で御用意しております。

さらに今回は、DAISYLOTUSの赤井澤が旅の最中にベルリンで出会った実力派バリスタ、八代 那弥さんが

自宅で出来るおいしいコーヒーの淹れ方のセミナーを開いてくれます。

 

海外で4年間多くの経験を積んだバリスタからレクチャーを受けるチャンスです!!

 

もちろん、「のんびりコーヒー飲みたーい」という方も大歓迎です!!

 

どうぞみなさん、遊びにいらしてください。

 

2019.06.16|スタイリスト

ニュージーランド 最終話 「人と心と言葉」(アカイザワ)

ニュージーランドは多くのことを与えてくれた。景色、出会い、感覚、寂しさ、幸福感、総称して『経験』だ

 

ニュージーランドには不思議な力がある。与えてくれると同時に忘れさせてくれる。必要のない感覚を引き算してくれる。そのぶん頭がシンプルになる。

 

ニュージーランドを旅した人たちはどこか似ている気がした。どこがと言われると言葉にまようが、強いて言うならみんな自然だった。

南島 クィーンズタウン 綺麗な山々に囲まれた湖にさほど大きくないが絵本に出てくるようなとても綺麗な街だ。この街は私の大好きな街の一つだ。

 

ここで私は親友と呼べる人に出会う。彼の名は『モニール』スペイン人の彼は気さくでとてもノリがいいが全く不快感がなく尊敬できる同い年だ。

 

彼との出会いはこの街の宿でだった。

その朝私は共有キッチンで朝食にフレンチトーストをつくっていた。すると彼が、「なんだそのうまそうなのは!どうやってつくるの??」と英語で聞かれたので、ぼくもつくり方を説明し「良かったら半分こして食べよう」と声をかけた。

 

すると彼は、とても嬉しそうに食べてくれた。食べながら、旅のことや、スペインのこと、を同い年ということもあり盛り上がって話した。

モ「今日は何するの?」

赤「今日はあの北に見えてる山を登ろうと思っているよ。君は?」

モ「俺はそこの街を見下ろせる丘にのぼりにいくよ。なら今日の夜宿で感想を教えて。」

赤「わかった!それじゃ夜に!」

 

と会話を交わした5秒後くらいに何かが私を止めた。

 

そのすぐには「やっぱり予定変えて一緒に行ってもいい?」と言っていた。

彼に何かを感じたのか、何がそうさせたのかはわからない。しかし、今でも思う。あのときの自分よ。ありがとうと。

 

彼との1日はとても楽しかった。いろんなことを話した。

 

お互いの国のことや感覚、価値観、生き方。話せば話すほど自分の中で成長を感じていく。

人は自分と違う価値観、経験をしている人間と会話することで成長するのだと思った。

 

彼とはこの後も何度も宿で偶然の再会を重ねその度に仲が深まった。

 

彼は私のことを『Aka』と呼ぶ。だが普段は『Bro』brotherを省略したものだ。

それにより考えられないほどに警戒心を解いてくれた。

 

彼がスペインに帰るときも空港で偶然再会することが出た私たちは「さよなら」ではなく「また会おう」と言って別れた。そこにはまた会えるという確信があった。

 

 

後ほど書くが、彼とはこの半年後、18832Km 離れたスペインの彼の故郷『Calaques』という街で再会し、とても素敵な経験をさせてくれる。

 

彼の他にも多くの私を助けてくれる人に出会った。一枚目の写真に写るオランダ人の20歳の女の子だ。

彼女は簡単に説明すると愛嬌部門の代表だ。常に弾けるような笑顔で、雨で宿からでれない日ですら最高の晴れをもたらしてくれる子だった。

 

彼女もまたオランダに行った際、彼女はオーストラリアにいて会えなかったが助けてくれた。

 

その後はヒッチハイカーを乗せながら景色と会話を楽しんだ。

 

 

 

 

途中で髪を切ったりキャンプをしたベルギー人の彼とはこの旅で、ニュージーランド、ベトナム、そしてベルギーの三回会うことができた。

 

 

その後、私は1話目に出てきたザンという男の子の家を目指した。

 

シャアハウスに住む彼は、とてもいい子だが、ちょっとばかりやんちゃだ。少しばかり一緒になってやんちゃしてみたりもした。

結局一週間ほど家に泊めてくれた。

彼は日本がとても好きで、ほんの少しだったが日本語が話せた。

 

大好きなラグビーで日本に行きたいと言っていた。背がとても小さい彼だったが、常に努力し、身長からは想像もできないくらいマッチョだ。

 

私が腕相撲を両手で挑んども片手の彼に勝てないくらいに強かった。実際ラグビーの試合にも連れて行ってくれたが、体格差は圧倒的だ。しかし果敢に挑み、チームメイトに頼りにされる彼を見て熱い気持ちになった。

 

努力で変えられないものもあるかもしれない。けれど、埋められないものはないのかもしれない。

その後、彼は最後の日、仕事前の早朝に車で迎えに来てくれ、空港までお見送りしてくれた。

 

彼が日本に来たときは、自分ができる最大のおもてなしをしたいとおもった。

「See you again next in Japan」と約束をし飛行機に乗り込んだ。

 

このニュージーランドの旅では多くの景色を見て感じて、多くの人に出会って、インプットと引き算ができた旅になった。

 

出会った人たちに似ている人はいなかった。全員が皆、自分をしっかり持っていた。

「流される」ではなくおのおのが舵を握っていた。そして輝いていた。

 

多くの言葉はなかった。話せなかった。しかし多くが伝わってきた。

 

国籍も経験も言語も違うが心が繋がっていた感じがした。たくさんの友が出来た。

これを経験し始めて言えることは

 

確かにもっと話したいと、悔しい気持ちになったこともあったが結果大切なのは『心』である。

 

誰も知っている人のいない海外に出て、多くの人と関わると感じる。

今までは「日本という国で、国に守られ、言葉に守られ、常識に守られていた」と。

 

海外に出ると丸裸だ。守ってくれるそれらの服はない。

 

そのときまた自分のちっぽけさと、自分を守る強い心が欲しいと強く思った。

 

2019.06.14|スタイリスト

ニュージーランド 2話 星と人が教えてくれた私の小ささ(アカイザワ)

目で取り込む情報は心に大きく作用する。

ニュージーランドの南島ではそれを特に感じさせてくれた。

 

ケビンと車で南を目指す中でも多くの景色が胸を躍らせた。

 

そしてケビンと車で北島の最南端ウェリントンにきた。そこはまた街。決して悪くない。だが早く離れたい。

そのときの私は早く南島に行きたかった。 ニュージーランドは北島ももちろん綺麗だが、大自然の景色といえばやはり南島だろう。

ここでケビンとはお別れし、私はいち早く南島をめざした。

 

船に乗りこみ海を渡る南島の素晴らしい景色はここから始まっていた。

そしてたどり着いた南島の最北端ピクトン。この街は1日だけの滞在ではあったけれど、とても記憶に残っている街の一つだ。

透き通った海水と、それに飛び込む子供たち、それと一緒に泳ぐ野生のアシカ。その海辺の公園の芝で寝そべる人たち。

不思議とニュージーランドは裸足の人が多い。自分も裸足が好きでよく海外では裸足で過ごしていた。

普段当たり前のように履いているスニーカー、革靴、ヒール分僕らは地球から浮いているのかもしれない。外で裸足になってはじめて「地に足つく」を感じる。エネルギーをもらうことができるのだと思う。

地球からエネルギーをもらいながら、ここから車による旅がはじまった。

日本と気候が北と南が反対なニュージーランド。このときだんだんと寒くなっていた。

何日か一人でさらに南を目指す。

途中山の麓でキャンプをした。日中は天気もよく気温もさほど寒くは感じなかった。だが夜になると気温は氷点下。テントが凍る。

寒さで途中目をさますと外がほんのり明るい。不思議に思い凍てつく寒さの外に出るとそこには数え切れない星がつくる橋があった。

それまでみた星の中で圧倒的な綺麗さだった。そのときここは「日本ではないんだな。」と実感した。

 

圧倒的な星は私に「自分の小ささ」を教えてくれた。

 

 

途中登りたい山を登る。

 

Mt.brown

有名でもないここは人はほとんどいなかった。人のない山は静かに私を受け入れてくれる。

ニュージーランドの山は山頂まで行けないようになっているところがいくつかある。それは山頂だからといって山を一番綺麗に見えるわけではないと教えてくれているのだ。

 

車での移動途中、一人の女性ヒッチハイカーを見かける。

このとき私は自分に小さなルールをつくっていた。それは、ヒッチハイカーを見つけたら反対方向に向かう人であっても乗せるというものだ。

話が飛ぶが、わたしは英語が全く話せなかった。わかりやすくいうと、中学一年生の初めの『ABC〜Z』まで書くテスト以外全て赤点だった。つまり30点以下だ。

 

はじめはそんな私が海外を周れるか心配もあった。しかし勉強はしなかった。そこにはしっかりと理由がある。

 

周り終わったとき、旅の話をしたときにもし、英語が話せていたら、「話せない人が周れるか」どうかは経験していないので伝えることができないと思ったからだ。

 

帰国した今、「話せないで周る」を経験している私は胸を張って「話せなくても地球を感じ旅することができます」と伝えることができるのだ。

 

話を戻すが、私は英語ができなかった。だからこそ沢山生きた英語を聴き学びたかった。

 

ヒッチハイカーの彼女は私よりも若かった。話を聞くと驚くことに彼女は7ヶ月もの間一人で、ヒッチハイクと歩きだけで旅をしているという。自然がいくら好きな私でもそれは理解し難かった。

 

私はこのとき「いろんな人がいるんだなー」という抽象的な感想と、星とは違う「自分の小ささ」をおしえてくれた。

 

その後も多くの人に出会ったが、彼女のような人には会わなかった。

 

ここから私はいろんな景色をみたり人に会うたびに、自分の小ささを感じ、話を聞くごとに今までの常識や価値観をほぐしてくれた。壊すのではないあくまで「ほぐす」だ。

 

 

次回 ニュージーランド 最終話 国籍のちがう親友たちとの出会いについて書いていきたいと思います。

読んでいただきありがとうございます。貴重なお時間ありがとうございました。

 

 

 

 

2019.06.12|スタイリスト

ニュージーランド 1話 景色を補正するワクワク(アカイザワ)

日本から最初に目指した島、ニュージーランド。

よく、なぜそこをスタートとしたのかという質問を受ける。

これには大きな理由があった。それは、ニュージーランド人の友人に、「ニュージーランドは時間という概念にとらわれない。」と聞いたからだ。

自分自身は、時間は有限で大切なものだと思っている。しかし、この言葉がとても残っていた。

日本に生まれ日本で育った自分は、小さいときから時間の大切さを教えられ育ってきた。社会人になってからは特に、1分単位で動いていた。そんな自分が、時間という概念をすっ飛ばすのは容易ではなかった。だから、自分はその時間との戦いを一時降りるためにニュージーランドを目指した。

日本を出て、オーストラリアのケアンズを経由し、14時間。辿り着いたニュージーランドの北島、オークランド。

見る景色も、空気も、人の流れもすべてが新鮮で、不安にすこし勝ってワクワクがこみ上げる。

夜に空港に到着し、英語が初め全く話せなかった私は、何をするにもビクビクしていた。やっとの思いで街に着いた私は30キロ近い荷物を早くおろしたく宿を探した。

古い建物を改装しドミトリーにした安宿を見つけここに泊まることにした。

街はワクワクに補正され輝いて見えた。

荷物を置くなり近くを散策する。

このとき自分は外国人である。自分のことを知っている人は一人もいない。何も気にしなくていい。

時間を気にせずのんびり歩く。そんなことすら、初めの頃は冒険だった。

街を歩くとストリートミュージシャンが知っている曲を弾いていた。私の好きな、ジェイソン・ムラーズの

『I’m yours』だ。ゆったりしたメロディーが不安を落ち着けていく。

街の路上に目を向けると、たくさんのホームレスがいる。しかし彼らはとても幸せそうに笑って歌を歌っていた。食べ物を分け合い仲間同士で支え合っていた。

少し離れたところでは、しゃがみこむホームレスの周りにおしゃれな若い人たちがいた。その中の一人が、ダンボールに書いてある文を読み悲しそうな顔をして、そのホームレスの彼の横に座った。話を親身に聞き、肩を抱いてなぐさめていた。この出来事に自分はとても幸せな気持ちになった。みんながそうではない。でもそんな人がいるから私は人が大好きだ。

1日目からとても刺激をくれた旅。幸せな気持ちで安宿の同じ部屋のオーストラリア人と拙い会話を楽しみベッドに沈み込んだ。

2日目は近くの公園に行き、芝生を見るなり裸足になり芝生に寝転んだ。空は青く公園の湖畔も信じられないくらいに青かった。

このとき私は時計を外し時間というものから解放されようとしていた。

周りには同じように地元民が、裸足になって横になっている。すごく豊かさを感じた。

今日から寝る時間も起きる時間も行動もすべて自分次第だ。明日の予定はない。だが昼になり、多くの人が仕事にむかう。ほんのちょっと忙しい。

夜は閉まっていたアジア料理の店が顔を出し始めた。さんざめく街。何か不快に感じる。街は人が多い。静けさを欲していた私は地図を開き、観光地である「ホビットの村」は人が多いのが目に見えていたので、反対方向のニュープリモスというマイナーな街をめざした。そこには静かな海辺とタラナキ山という魅力的な山があったからだ。

ここは期待を裏切らず、とても静かで、旅を終えた今でも心に残る街の一つだ。

海辺を散歩しているだけで心が休まる。

宿で情報を集め山へむかう。この日の天気は曇り空。だが、見たことのない草木に胸が踊る。

山を登りながら、すれ違った人と話すときに使いそうな英語を勉強する。本当に簡単な英語もわからなかったが、使って通じた瞬間自分の頭に焼きつく感覚があった。

4時間ほど登ると雲を抜けた。あたり一面雲海だ。一緒に歩っていた登山者と「Good morning sun」と大声で叫びながらそのときを楽しんだ。

広すぎて写真では伝わらないが、それでこそ絶景だと思う。

帰り道、登山道で出会った中国人の同い年ケビンと仲良くなり、レンタカーを使っていた彼は北島から南島にむかうときに経由する街まで一緒に行こうと言ってくれたので一緒に行くことにした。

移動日も、移動場所も決まった私は、ニュープリモスでの最後の夜を過ごす。ベランダで宿の宿泊者とお酒を飲みギターを弾く青年と仲良くなった。彼は、南島のクィーンズタウンに住んでいて、このときは、家族とキャンピングカーでニュージーランドを一周している所だという。

今回家族のありかたをテーマに周っていた私は彼にたくさんの話を聴いた。若いながらとてもしっかりしている子で学ぶことがたくさんあった。そして最後に彼はクィーンズタウン来たら何日でも泊めてくれるという。

そして必ずまた会おうと約束を交わしニュープリモスを後にした。

 

 

2019.05.29|スタイリスト

興味本位でボリビアでパーマをすると頭皮が溶ける場合があります。PS・復帰しました。(アカイザワ)

地球のみなさんこんにちわ。一年間の海外と日本の旅、計約400連休を終え今日よりDAISYLOTUS に戻ってまいりました!!

海外いる間はネットワークトラブルによりあまりブログを更新できなかったので、これからゆっくり更新できたらと思います。不定期で。

これからも髪やライフスタイル、もちろん自分が経験し感じてきたことなど、早くみなさんと沢山お話ししたいと思っております。海外でも多くの人に髪を切らせていただき感覚を磨く機会にも恵まれた一年だったので安心して遊びにいらしてください!!

みなさんにお会いできるのを楽しみにしております!

 

 

2019.05.22|スタイリスト

百聞は一見に如かず行動は言葉よりも雄弁に語る(アカイザワ)

お久しぶりです。デイジーロータス長文ブログ担当の赤井澤です。

前回ベトナムで更新して時間が経ってしまいました。その間に、カンボジアともう一度タイに来ておりました。

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タイトルにもしましたが。「百聞は一見に如かず」この言葉好きなんですよね。自分の人生のテーマみたいなものなんですが、最近より意識するのは

What one dose is more important than what one says

「行動は言葉より雄弁に語る』

Actions speak louder than words

『行動は言葉より大声で話す」

英語を勉強するうちに見つけた言葉なんですが、本当にその通りだなと衝撃を受けました。

タイに来て改めて、ご飯は安くてうまい。でも中心街は東京を超える勢いで都会化し多分これから何年かしたら追い抜かれるんじゃないでしょうか。想像できますか??来る前は道路舗装されてないイメージや失礼ながら小汚いイメージがありましたが、本当住みたいと思うくらいに素敵な町です。

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カンボジアもイメージより人は優しく想像より都会でいい場所でした。でも、歩き周ってて思うのは、そこの町や国の好き嫌いは、出会った人で決まります。これ本当に。どんなに他の人から、プノンペンは何にも無いから長居する必要ないよと言われても、出会いが良ければ最高の思い出の地になります。

これは聞いてるだけではもちろん見ただけでもわかりません。自分から声おかけたり行動しないと何も起こらないんですねー。

でもどちらの国にも道で物乞いをしている人はいます。見かけたら一食分だけでもお金を渡すようにしています。あんまブログに書くことでは無いのですが、でも、どうしても話を聞いたり、ネットで見たりすると、それに批判的な人が多いんですよね。偽善やら何やら。最初は僕も気にしたんですが、結局通り過ぎてから後悔することが嫌で、見かけたらお金をカゴとかではなく直接手に渡すようにしています。本当に嬉しそうな顔で受け取ってくれるんです。たった200円300円ですよ。それで少しでも助けになるならやらない理由ってあるんでしょうか。差し上げた額もその人の顔も覚えてないし覚えられてないでしょうけど。自分の考えを信じて行動することが一番自分にとっていいことだなとつくずく思います。可哀想と思う事は別に見下すことではないし、思うだけでは何も起こらない。行動して初めて何かが起こるんです.

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話は変わりますが、最初に自分は出会う人にとって、自分が日本代表に意図せずなっている事を意識しようと心にきめて日本を出たのですが、少し悲しい話、日本人をたまに見ると少数だとは思うけど、乗り物の客引きを無視したり、冷たい対応をしているところを目にします。確かにしつこいけど、見ていていい気持ちにはならないですね。誰も得しないし何よりカッコよくないです。

自分はほぼ全員と笑顔で絡みます。時間ないときは笑顔で手をあげたり、肩組んだり、ハイタッチしたり。しつこい人にはとことん付き合います。

どこにいくのトゥクトゥクに乗って行けよ、とつきまとう人へのいつもの対応は

ok How much? I wanna go Japan.

と言うと、1ドルでいいぜ!って笑いながらハイタッチして見送ってくれる。最高に平和理な解決法です。

どうせしつこくされるなら、日本人いい奴だなって思われた方いいよね。そんなんしてると顔見知りになって、タバコくれたり、近場ならたまにタダで乗せてくれたりします。

でもみんな、日本に行ってみたい。日本にいくのが夢なんだ。と言ってくれます。嬉しいですよね。自分の国を好きと言ってくれるのって。

日本を外から見るとより日本の良さを感じます。もちろん反対も。

とりあえず、日本の言う国では、飢える事はほとんどなくて、大抵のことはできる環境です。自分も日本でやりたいこと、挑戦したいことが沢山あります。それらを全部やります。一つ一つを言葉にし実行していきたいと思います。

海外を周るのも夢じゃないです。やるかやらないかです。

明後日からネパール。エベレストベースキャンプへ。3週間近く山にいることになりますが、向こうは最高に雨期。天気予報は予測おあきらめ9月まで雨マーク。

あータノシミ

2018.07.30|スタイリスト

生まれ育った環境が違けりゃそりゃそうか。(赤井澤)

今ならなんでも許せるんじゃないかと悟りかけてる赤井澤です。なぜこんなタイトルかというと。海外、優しい人だけではないなとつくずく感じるからです。

語弊がないようはじめに言わせてください。きっと優しい人9割です。ベトナムに入った途端、僕が偶然遭遇するだけです。そう信じてます。

話は遡り、タイを離れ僕はラオスに向かいました。移動時間2泊3日。

バス計12時間、スローボートでメコン川を下り計16時間と間で宿に宿泊という感じでした。

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ここはプーシーの滝 泳げるほど綺麗でした。(ラオス)

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メコン川はこんな感じ

ラオスでは日本人とたまたま出会いました。彼は麦さん。自分の父とほぼ同い年です。とても話しやすく馬があい結局ラオスではほとんど一緒、この方がとても魅力的で30年続けた仕事をやめ、今は自分の人生を探していました。親子ほど離れた僕にはなぜかずっと敬語。普通ならこの年代だと、ある程度自分が画一されており、なかなか他の人の考えや思いを吸収することは容易でないと思いますが。彼は違いました。僕の話を親身に聞いてくれ、とことん語り合い飲み明かしあした。ラオスはほぼ彼との思い出です。最後には、話、出会ったことに感謝を述べてくださいました。僕も心から彼のようになりたいと思いました。

きっとこの出会いは、日本にかえってからも続くでしょう。

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そしてここからがタイトルのはなしになります。ラオスを離れバスで26時間6カ国目のベトナムハノイに入りました。

入って早々ボッタクリがやばい。タクシーは必ず最初、3倍くらいの値段で言ってきます。めんどくさいので笑顔で、超笑顔で「NO thanks you」と断るのですがめちゃしつこい。なので最後はこちらも吹っかける。はじめ300000ドン(1500円)と言ってボッタクたから0を3つ取ってくれ。(150円)と真顔で言うと呆れて去って行く。ボッタくることはこちらの文化に近いものだからなんとも思わない。ただそんな中いい人に出会えると数倍嬉しくなるもので、人っていいなって思えるしそんな人には幸せになって欲しいと心から思える。

次は押し売り、何も食えずのめずの状態が丸一日以上続き、喉も乾ききっているときに出会った女の子。

宿が決まらず歩いているとこと場所を教えると近づいてきて、教えてくれた。しかし方向は正反対。さらに歩くことに。その上持ってた乾パンみたいなドーナツをfree free言いながら無理に口に詰めてくる。人生で一番水を飲みたいときに、人生で一番食べたくないタイミングでのドーナツだった。さらには袋に詰め出し僕のバックに勝手にきつく結び15000ドン(75円)と。まあいいかと引きつった笑顔で財布を取り出すと勝手に一番でかい紙幣(2500円)を抜き取り、お釣り誤魔化してきたのでそれは流石に言った。

パサついたドーナツが2000円って、間違ってニューヨーク来たかと思った。

とにかくいい人ももちろんいる。

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最後は、バス会社の人達。彼らは9割対応が酷い。運転手やスッタフからしたら我々客は乗りたきゃ黙って乗れ、言う事聞け。じゃなきゃ降りろ。困るのはそっちだろ。の対応だ。常にキレてるし、気に入らないと叩かれる。それでも僕は超笑顔でありがとうという。この笑顔を見て罪悪感でも感じろっていう反抗だ。

ただ、タイトルの話になるが、彼らはそうやって育って来た訳で、性善説を信じる私は、あくまで環境がそうさせていて、むしろ日本の最高に近い接客になれってしまっていた自分が良くないと思った。ベトナムが悪い訳ではない。日本の物差しで計って文句を言ってしまうと自分の価値を下げることになる。

何にでも当てはまるが、自分と違う、正反対、苦手な人ってのはあくまで環境と経験した物事、出会って来た人が違かったでけで、同じ環境下で同じ経験をしていたらきっとそっち側になっている。

今の自分が好きな人は、環境と経験、出会いに感謝ですね。

心遣いや、お客様を思う事で得られる幸せは彼らには味わえない。それは少し可哀想な事。自分はこの幸せが一番好きだから。

日本アリガトーーーーもう日本に求めすぎたりしないよーーーーーー

そんな感じで心を拡張し最後は生仏を目指す今日なのでした。

IMG_3203IMG_3200写真などは主にインスタグラムであげております。

フォローしなくても見れますので気になるかたは是非

akaizawa_   で出て来ます。

次回はホーチミンかカンボジアにて更新します。。。

2018.07.09|スタイリスト

言葉の壁に比べたらどんな壁も大したことない。(アカイ ザワ)

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言葉の壁に比べたらどんな壁も大したことなかったなと、心折れてた赤井澤です。

だいぶ空いてしまいましたが、膝を3針縫ったくらいで健康そのもの。お腹を下すこともなく元気にやってます。

最初、僕はテーマとして、英語が全くできない状態で回ったらどうなんだろ。回れるもんなんだろうか。という疑問を解決すべく、中1から20点台の赤点しかとったことない状態で回ることにしました。

結果

多分なんとかなります。海外で観光地だけまわるのなら英語なんて勉強しなくていいし、指差し英会話持ってけば余裕です。
しかし、沢山の人と出会い、話し、仲良くなりたい。人が大好きな自分にはとても辛い日々でした。

多少笑顔と愛嬌で、顔も覚えてもらえるし、ご飯に誘ってもらえるし、可愛がってはもらえます。でも、その時の嬉しい気持ちや、感謝を伝えたくても言葉が出てこない。言いたいのはただThanks you なんて表面だけの感謝ではなくて、心の底から伝えたい。でも伝わらない。

ニュージーランドの時点でひたすらわからなくても話しかけて少しは話せるようにはなっていたけれど、まだまだ。中1が二学期になったくらいです。

マンツーマンなら話せるが4〜5人以上からは会話のスピードに入れず空気化してしまい、静かにその場を立ち去る。これは本当に辛すぎます。気を遣わせたくないからと自分に言い訳して逃げてるのはわかってるんです。

本気で泣きました。

そんでその日からグダグダしてた時間を英語の勉強に使おうと決意し今は知恵熱出るレベルで勉強してます。

日本にいる時は悩むことなんてそうそうなかったんです。それは自信があったから。自分は本気で他者を想うことができる方だとおもっているし、本気になればある程度できないことはないと思っている。多くのことに立ち向かう勇気もある方だと思っていました。でもそれは、環境に守られていたからなんだと心底感じました。

海外に来ると、守ってくれるものはなくて、素の自分だけがさらけ出される。言葉も通じなければ、想いも伝わらない。そうなると、自ずと悩みが生まれ、久しぶりに本気で悔しい思いをしました。

とてもいい時間です。この気持ちはこれから先ずっと忘れずに、心の中心近くに置いておこうと思います。

少し伸びていたであろう僕の鼻を折ってくれてありがと地球。

この3週間ドイツ人の女の子とずっとバンコク、チェンマイ、パーイ、そしてまたチェンマイと行動を共にしてきた。
鼻の下は伸びてない。
かなり助けてもらったけれど明日で最後。しかしちゃんと感謝を伝えられてない。

この子にもこれから出会う人たちにも感謝を伝えられるよう頑張ろう。

言葉の壁は高いけど、登った先にはきっと沢山の出会いと笑顔があることを信じて。

相変わらず長いですが読んでくださり感謝です。

2018.06.24|スタイリスト

赤井澤 剛

スタイリスト
仙台市生まれ。山、風景写真、キャンプ、自転車、温泉巡り、雑誌集め、読書、行ったことないところ巡り、動物
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