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東南アジア編 第2話 タイ 「お金の価値、出来事の価値」

 

マレーシアから陸路ではなく、飛行機を使って入国したタイ。それには理由があった。マレーシアとタイとの国境は治安が安定しておらず、絶えずテロに巻き込まれる可能性があったからだ。

避けた私はそこの実情を一切知ることはできなかった。もしかしたらとても素敵な場所だったかもしれない。しかし自ら命の危険に足を向けることはできなかった。

 

皆さんの中でタイとはどのようなイメージだろうか。

私は、恥ずかしながら、まだ道路も舗装が遅れており、衛生的にもまだまだで、たくさんの難民がいるイメージだった。

結論から言うと、バンコクに関しては東京とさほど変わりなく感じる程だった。日本の居酒屋やチェーン店がいたるところにあり場所によっては、50mの範囲の中に4軒セブンイレブンがある。

 

物価も上がってきており、それでもなお発展途上であるこの国が日本を超えるのはそう遠くない未来だと感じた。

 

この国ではとても多くの出会いに恵まれた。

バンコクで2週間ほど滞在していた宿では多くのともだちが出来た。私が美容師であることを聞きつけた人たちが髪を切ってくれとおしかけ1日で7人切った日もあった。

 

 

 

 

 

 

その中の一人だったアーリーというドイツ人の彼女とルートが一緒だったので一緒に旅をすることになった。

バンコクからチェンマイまで、寝台列車で長い時間をかけて向かった。

列車の窓を開け湿度を多く含む空気を感じながら、ワクワクを募らせた。

 

寝台列車というのはとても不思議だ。決して快適ではない。ゆっくり寝れるわけでもない。だが窓の外を眺めているだけで、旅を感じることができる。「旅」を簡単に味あわせてくれる。

少し汚い線路上、走り回るネズミ、暑くて寝苦しい車内、だけどそれすらも刺激的で輝いて見えた。

 

車内で仲良くなった警察官たちが気さくに声をかけてくれてご飯を食べさせてくれたりもした。タイ人はとても気さくで優しい人たちが多く、大好きな国になっていった。

チェンマイでは、毎日好きな時間に起きては、近くの屋台でマンゴーシェイクを飲み1日が始まり、お昼ご飯を食べたら昼寝をして、起きたら屋台で夕飯を食べて、ビールを飲んで寝る。そんな毎日を過ごしていた。

唯一したことといえば釣りだけだ。

1週間くらいチェンマイには滞在したがほとんど観光した記憶がない。

この釣り堀に行くときにgrabという個人タクシーを利用したときのこと。表記されていた住所のところが潰れていて路頭に迷っていたところ、ドライバー施設に電話をかけたり、車もメーターを止めて送ってくれたり、最終的には一緒に釣り場まで来てくれて写真を撮ったり、ビールを奢ってくれて一緒に飲んだりした。

 

どこか気が抜けていて微笑みどころか満面の笑みをくれる国だった。

 

どこの国にもいるが路上で生活している人たち。もちろんタイにもいる。タイは急激に発展したからか、その貧富の差が斗出しているように感じた。

 

脚のないご老人や、痩せた体で子供にミルクをあげている人、精気が全く感じられない人もいる。

はじめは、お金を渡していたらきりがないと思って渡さなかった。だが、横を通り過ぎた後必ず後悔が後ろ髪を引く。

だから渡さないことで後悔することをやめようとおもった。

その行為を偽善かどうかではなく、それをすることで周りから偽善者だと横目でみられることを気にしている人が多いのではないかと感じたからだ。

あまりそういった人の目を気にしない私は、渡すときに必ずその人と同じ目線まで下ろし、前の籠や皿ではなく手渡しをするようにした。同じ目線で何かを共有したかった。人には上下はない。私がお金を渡しても私の立場が上になることはない。そうして受け取ってくれた人たちは皆さんがとても素敵な笑顔を私にくれた。私はその笑顔にとても元気ずけられた。それにありがとうを言いたくなった。

自分もお金があるわけではなかった。でもだからこそこの考えも生まれた。

 

お金には、世間から見ると1つの価値しかないが、人一人からするとお金の価値は各々違うと。

 

自分にとってはタダお腹減ったときにその小腹を満たすための300円でも、誰かにとっては、1日家族を食べさせていけるかの300円になる。

 

これを感じたとき、自分の中にはお金がより価値を見出せる人の手元にあったほうがいいなと思うようになったのだ。

 

お金の価値観を変えてくれた地だった。

 

話を戻すが、その後私はパーイという田舎の町に向かった。

何もないがある町だ。もともとタダのバスの休憩地点だったこの町を気に入った旅人たちが移り住み町らしくなった。

 

ここで私は素敵な出来事に出会う。

バイクで事故を起こし膝を縫うことになったのだ。しかしこの出来事に今でも感謝している。

 

この町にアーリーと共に着いてすぐ。私は町の真ん中で、バンコクの宿で髪を切ったジュリーというパリ出身の子とばったり再会した。

 

この子はバンコクで会ったときからとても笑顔と心遣いが素敵でまた会いたいと思っていた子だったのでこのときとても嬉かったのを覚えている。

その後彼女がバイクをレンタルしてこの町の周辺を周るから行こうと誘ってくれたのでバイクをレンタルし一緒に景色を見て周った。その帰り。少し路面の濡れた坂道で私のバイクはコントロールを失い転倒してしまった。

 

うまく受け身を取れて、全く怪我なく着地できていたと思っていたが、何と無く違和感を感じ破けてもいないズボンを膝までめくると膝が少し裂けてしまっていた。

 

自分はさほど慌ててはいなかったがジュリーが病院に行かなきゃ!!と心配そうにしてくれていた。

そのときもう二人、一緒に周っていた人がいたが、時間を奪いたくなかったので帰ってもらい、一人で病院に行こうと思ったが、ジュリーが心配そうに施述室まで付き添ってくれた。

 

縫う前にする麻酔注射。あれがなかなか痛い。ジュリーは心配そうに傷口を見て僕の手を握っていた。意識すると痛いからと、家族の話や旅のことを話して意識をそらそうとしてくれていた。

 

このとき私は傷のことなんかより、「なんて心が綺麗で優しい子なんだ。どうやって育てられたらこんな素敵な子になるんだろう。この子の家族に会いたい。」そんなことを考えていた。

 

施術が終わり診断種などに問題がないか目を通してくれ、宿まで送ってくれた。次の日はみんなでご飯を食べた。

バンコクで髪を切ったときに、ジュリーは「パリに来たら泊めるから是非来て」と言ってくれていたが、この日私は改めて、「パリに行ったら是非家族に会わせてくれ。」とお願いをした。

 

そして、この4ヶ月後パリで私は彼女の家族と最高の時間を過ごしたのだ。この話はまたパリ編で。

 

これによって私にとってこの事故は価値のある素敵な出来事になったのだ。

 

 

その後数日歩けなかった私はまたアーリーや新しい仲間とのんびり過ごし、またチェンマイに戻りそこでアーリーとはお別れし次はドイツのハンブルクで会う約束をした。

 

そしてまだ完全ではない足で60数時間かけてメコン川を船で降りラオスをめざしたのだった。

 

 

 

2019.07.04|スタイリスト

赤井澤 剛

スタイリスト
仙台市生まれ。山、風景写真、キャンプ、自転車、温泉巡り、雑誌集め、読書、行ったことないところ巡り、動物
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