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東南アジア編 最終話 ネパール 「大自然のエベレストとそこに住む人たちの世界」

 

カンボジアから一度タイに戻り、高校生の時に自動車学校で出会いそれから仲良くなった友人がタイで仕事をしていたので、数日間泊めてもらっていた。少し観光らしい観光をした。

その後東南アジアで最後の地となるネパールに向かった。

ネパールは簡単ではあるがビザが必要になる。実際は空港に着いたら書類を書けばビザは発行される。しかし、タイからのインチケットのみでは飛行機に乗せられないと搭乗拒否にあってしまった。搭乗口が閉まる10分前にそれがわかり、慌てて、予定を考え15日後にドイツに行くチケットをとっさに取った。

今思うと、あの時の出来事がなければ出会っていなかった人ばかりなので、きっとそういう流れだったのだと思う。

無事ネパールに着きエベレストを始めとする山々に想いを馳せていた。

ネパールでの予定も変わってしまいタイトな旅になってしまったため、飛行機のチケットを手配し到着した次の日の3:00に出発することになった。

この時のエベレストは雨季。山の斜面にあり、かなり狭い。世界一危険な滑走路と言われる場所に降りなければいけないため少し曇っていると飛行機は飛ばない。

ひどい時で一ヶ月で一度も飛ばない時もあるそうだ。

自分が乗る飛行機の前に飛んだのは一週間前に一機、15人程度だった。

私はやはり運がいい。一発目で私の乗る飛行機だけが離陸できた。

その後は12日間飛行機は飛ばなかった。

そうしてなんとかエベレストベースキャンプトレッキングコースのスタートに着けた。

ここから長い人で15日間、早い人で12日間の山行がはじまる。

出発地点の段階でかなり空気が薄いため、小走りで酸欠になるため、まず体を慣らす。

散策をし、この小さな町に住む人の生活をみた。

物資は、たまにくる飛行機に積まれるため、市場のようなものができ皆が買い物をする。

 

雨季のため人も少なく快適に登山ができた。

ルートにはところどころに宿があり、一日5時間ほど登っては宿に泊まり食事をした。あまりペースを上げると高山病でヘリで強制下山されてしまうため、早く登れる人でも、たまに同じところに二泊し順応しなければいけない時もある。

1週間シャワーも浴びれず登りつずけ、時には川の水で身体を流した。

ネットもないためノートを取り出し心の内を可視化したり、すれ違うポーターの人たちの生活を想像したり、ときには、岩の上で一時間ほど瞑想したりしていた。

登り始め5日目くらいに、広場で少年と出会った。

一人ノートを開き勉強をしていたので、声をかけてみた。彼は10歳。ずっとエベレストに住み、ここでシェルパとして生きていくとのこと。母国語に加え、英語も自分で学び、日本語を教えてとお願いしてきたので、簡単な挨拶などを教えた。

その向上心、好奇心、人懐っこさ、真剣な眼差しは尊敬に値した。

 

その後さらに標高を上げ4000メートルあたりから、眠気、軽い頭痛、倦怠感、腹痛が出てきた。

景色は圧巻で、自分がちっぽけに感じいろんなことを考える。

ポーターやシェルパの人を見ては、この人たちはみんな数日かけて山を登りガイドなどを生業にしているが、家族に会えるのは月に5日ほどの人が多い。ガイドならまだいいが。家を建てる石をただ運ぶ人もいる。たった三つの石で60キロ以上あるものをただ黙々数日かけてと運ぶ。

エベレストの頂上を目指す人のシェルパなどは命を落とすことも多いが。彼らにはそれが当たり前なんだそう。

我々は情報や選択肢が多すぎる。それをとても感じた。彼らは選択肢が限られている。悩まないことはないだろうが、選択はシンプルな気がする。

環境が違えば人の生き方は大きく変わる。自分に子供が出来たとき、その子がよりいい選択ができるような環境にしてあげたい。

レールは敷かなくても、せめてフィールドは、荒野ではなく草原にしてあげることくらいはできるのではないだろか。

そんなことを考えながらひたすら歩いた。

雨季にしては晴れてくれ、飛行機も飛ばなかった分人が少なかった。

5500メートル地点。ベースキャンプについた。

ここからは選ばれた人しか登れない命をかけた領域だ。ここから登り始め今だに遺体も降ろされてない人もいる。自分はその場から山頂に足を向けることも許されない。

 

それが世界最高峰だ。

 

この場所は、山がただ綺麗とか記念にとかそういう場所ではなかった。

自分を整理してくれる。多くを考える時間をあたえてくれる。でも無心にしてくれるような神聖さがそこにはあった。

そこに背を向け、帰りは駆け足で8日かけたその道を3日で戻った。

登るのは大変だが下るのは一瞬だ。そう言ったなんでもないことが山は人生の教科書になる。

最初の町に戻ると悪いニュースが。12日間、飛行機が飛んでないとのこと。皆が立ち往生していた。

自分の予定していた日には飛行機が飛ばず。次の日を待った。私は2日後にベルリン行きのチケットをすでに取っていたため。かなり焦った。

同じような境遇の人は、人数を集め、高いお金を払ってヘリをチャーターしていた。

自分も誘われたが断った。

翌日。その日も天気は雨。焦りで苛立ちをおぼえる。ヘリを呼ぶにも人が集められなければ30万ほどかかる。

しかし、もう当分晴れる望みはないと言われたので、現地の人と相談をしていたそのとき。

少しだけ雲がはけ、太陽が差し込んだ。そしてその人のケータイに電話が来て彼が「you can go back.」

と笑顔で伝えてくれた。

15分後に離陸するからすぐ準備してと。ラピュタのワンシーンのごとく1分で支度し空港に走った。順応し息はもう切れない。

そして離陸する時、現地の人たちが手を振って見送ってくれ、離陸した時僕の中でエベレストベースキャンプ登山の幕を閉じた。

 

余談だが、僕が乗った飛行機が離陸したあと、またすぐに雲がかかり数日飛行機が飛ばなかったとのこと。

改めて自分の持つ運に感謝をしネパールをあとにした。

 

 

 

*ここからは重い話になるので、あまりお勧めしません。

実はこの下山の間に不幸があった。

たまたま下山をしていたら日本人にあった。話していたら、その人のガイドさんが慌ただしく電話で話をしていて、我々が状況判断できないまま、現地の言葉しか話せない青年にガイドがかわった。

 

あとからわかったことだが、その時そのガイドさんの娘さんが、自ら命を絶ったとのことだった。

 

彼はガイドの仕事を放棄できないと、はじめは笑顔でガイドを続けようとしていた。しかし説得され、先に降りていった。

その時どんな気持ちで下山していたのかは想像もできない。休憩することもなかっただろう。

 

他のガイドから詳細を聞いたところ、理由は失恋だったそうだ。

まだ十代のなのになんで。。。

彼女にとってその恋愛がすべてだったのだろう。いくら考えても自分には寄りそうことすらできなかった。

人にはそれぞれ価値観があり、同じものはない。その子と同じ環境下で生活していたら、自分も近い価値観になっていただろう。しかし、その時は頭が追いつかなかった。

各々大切にしているもの、強さは違う。それを他人が否定してはいけない。。人には人の世界がある。などと答えのない考えで頭をめぐらせた。

 

その後そのガイドはお葬式が終わったあと、日本人の彼に申し訳なさそうに頭を下げていた。我々はその姿をみて泣きそうになった。

 

そしてかれが通ったあとにはお線香の香りがしていた。

 

 

このブログに書くか迷いましたが、少しでもこれを読んで考えてもらえたらなとおもいました。

家族と過ごす時間、後悔の念、心と心、愛。

理解できずとも考える機会になればと。

すでに2年過ぎてしまいましたが改めてご冥福を。

2020.07.10|スタイリスト

赤井澤 剛

スタイリスト
仙台市生まれ。山、風景写真、キャンプ、自転車、温泉巡り、雑誌集め、読書、行ったことないところ巡り、動物
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