2018年 グルノーブル→ベローナ→ローマ「イタリアの家族」
グルノーブルで友人とお別れし、次に負傷した腰を押さえながら向かったのは友人の友人のお家だった。
年は母ほど離れているが快く受け入れてくれた。
彼女もまた彼女らしく生きる日本人の一人。
彼女はその時、軍人の旦那さんと転勤でアメリカからイタリアに来ていた。
予定していた日程とずれてしまったが、旅にそんなのはつきものと笑顔で会うことができた。
そして彼女は整体を学んでおり、私の腰の負傷をきき整体をしてくれた。
それにより1週間ほどで良くなったので感謝しきれない。
彼女の特に素晴らしいと感じたことは教育だった。
こどもたちの好きなこと興味あることをすきなだけのばしてあげれる育て方をしていた。
野草がすきな息子さんにはすきなだけ野草をつませ、興味を否定せず存分に伸ばすことで、その植物がどのような特性を持っているかを研究者のように理解していた。
つんできたカモミールでお茶も出してくれた。
そうやってすきなことに没頭させてあげることが彼のためになっているのが明らかだった。
娘さんは薬草とアイスクリームが大好きで、この女の目標は子供達も薬草を口にできるように、薬草を使って、美味しいジェラートを作ることだった。そのために必要なことも理解し学校も自分なりに調べ考えていた。
大人でもなかなか考え付かないことを彼らは考える力を存分に伸ばすことによって自ら導きだしていた。
今現代社会人になり。自分の考えで行動できる人が少なくなってきている気がするのは、どこか型にはめようとしてきた教育によるものなのではないかと考えさせられる日々だった。
その後少しイタリアの北部を案内してもらい、私たちはローマに移動した。
とても楽しいというよりは勉強になったベローナだった。
ローマやバチカンをなんとなく歩きついに彼女との別れの日がきた。
空港に着き半年ぶりに再開しそしてまた半年別れ離れになる。
7年も一緒にいたが10日間ずっと一緒にいたのは初めてだった。
はじめはまた旅に戻るワクワク感と寂しさは少しだけ寂しさが勝っていたくらいだったが、
空港で彼女の見送りで手を離し振り返った途端、涙が止まらなくなった。
寂しくて泣いたのは、はじめてだったかもしれない。
数秒間そこで涙を自由に流し、拭い、そしてまた旅に戻った。
今この文章を書きながら当時の気持ちを思い出し、「あの時は本当にありがとう」とメッセージを送った。
過去を思い返すのも悪くない。